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2019年8月30日 (金)

カラオケと屁理屈

あっという間に8月ももう終わり。

娘はもうすでに学校が始まっていますが、息子の中学でも昨日と今日にテストがあったみたい。

娘も学校でのテストが今日終わったみたいで、テストも終わったし、夏休みももう終わりだし、夏休みと言っても家族でどこかに出かけたわけでもなかったし、前から行きたいと言っていたし、というわけで今日は家族で近所のカラオケ店に行く事にしました。

夏休み最後のちょっとした家族サービス。190830225646814_photo久しぶりかな?

2時間だけみんなで歌ってまいりました。娘や息子が歌っている歌はさっぱりわからないのだけど、私が歌う歌も1980年代~1990年代前半の歌ばかりなので、子ども達にはさっぱりわからんだろうな。

最近の流行の歌などさっぱり歌えない。

最近は一体全体何が言いたいのかよくわからない歌詞が多いですな。おじさんには難しすぎて・・・。

例えば昨年流行った米津玄師の「lemon」の歌詞なんかもよくよく読んでみても何言いたいのかさっぱりわからんのであります。別にディスっているわけじゃないし、単に私の理解力が無いだけなのかもしれませんが。流行っているのはみんな理解して流行っているのかな?

素朴な疑問。若い子達の国語読解力が飛躍的に上がっているのかしら?この歌詞の意味を読解できたら大したもんだと思う。

画面に流れる歌詞を読んでいましたが、アホな私はさっぱりわかりませんでした。「わからない=かっこいい」的な?Henotuppariこんな感じ?

「私たちにわからない歌詞を書けるなんてきっと凄い才能に違いない!」的な?

字足らず字余り変なリズムの歌いにくくこねくり返したような曲多いですね。もうちょっとシンプルでストレートな曲でいいのに。だから入ってこないし。

あまり最近は曲を聴かないし、カラオケも滅多にいかないんだけど、四半世紀前のJ-pop最盛期の歌くらいが私が歌えるギリギリの範囲なんだけど、やっぱり聞いてみると随分変わったなって思いますね。

昔のは曲も詩も、流行ったのは全体的にシンプルでキャッチーなのが多い感じがしますね。こんな話をすると言う事は私も随分おっさんになったのかなと思いますね。若者のカルチャーが理解できない、新しい物を受け入れられないというのは老化なんでしょうね。

でもちょっと待てよ、「時代も変わったねぇ」と言うのは果たしてそうなのか?「それ、時代が変わったんじゃなくて自分が変わったんじゃない?」ふとそういう疑問が頭をよぎる。

昔は好きな歌手やバンドとかじゃなくても、「おっ、いいね」って思う歌一杯あったんだけど、最近流行の歌を聴いてもそんな風に思う事ってほとんど無くなってしまった。

曲の出足を聞いて、がつんと頭を殴られるような、体に電気が走るような衝撃を若い頃は歌に感じる事がありました。今はそんな事全くない。

それは今の歌がダメなんじゃ無くて、自分がそもそもそれを受け止められる心を失いつつあるんじゃないか?単に何にでも感動できなくなっているだけなのかもしれない。心の中の一部分が歳とともに硬化してしぼんできているのかもしれない。豊かな感受性が退化しているんじゃないかな?

例えば学生の時の同級生のふとした仕草に「ズキュン」ときてたちまち恋に墜ちるような、そんな心ももう失ってしまっておるのだろうなぁ。もちろん妻もあり子も有りの身ではそんな事あっては大変なのだけど。

今から思い返しても、ちょっとの間好きだった子がいたとして、いったいなんであの子を?あの子のどこが好きだったのか?とか今考えたらさっぱりわからないって事あると思います。「理屈じゃない」って事なのかなって思いますね。

心の赴くままに感じ、行動するって能力がどんどん薄れ、理屈でばっかり物を考えてしまうから、新しい歌も受け入れられんのかもしれない。

でも、まぁこんないいおっさんになって理屈抜きに感情で突っ走ったらただの「バカ」なのでそれはもう年相応の反応なのかな。

そう考えれば新しい歌を受け入れられないのも、年相応の反応で間違いじゃないんだと無理矢理の結論に至り、理屈っぽく納得してみました。「理屈」って書けば聞こえがいいが、「屁理屈」。

そもそも、「今日は家族と一緒にカラオケに行きました。楽しかったです。」って書けばいいだけなのに何書いてんだろ?ほんと我ながらおバカです。

 

 

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